第3学年 | 学年通信9月号 Web version 平成27年09月11日(金)発行 |
|
今年一年、どんな年にするかは、自分しだい!! 日々、「今、ここ、全力!」で楽しもう。 |
■ 「おもしろくない」と断ずるのは、傲慢ではないか
この学年ではないのだけど、あるクラスで、読書プレゼンテーションで自分が取り上げた本の「おすすめ度」を5段階で答えてもらったことがある。その結果、圧倒的に多かったのが、「2」??つまり、「あまり薦められない」というものだった。
みんな、けっこう積極的に楽しそうにプレゼンしていたから、意外な結果だった。次の授業のとき、今度は「2」と答えた人にその理由を訊いてみた。「@難しかったから A個人的な関心でしかないから B途中までしか読んでないから Cおもしろくなかったから」の4択。結果、どれが多かったかというと……ほとんどの人がAかCに手を挙げた。ほぼ同数。
ここには、とても大事な問題が含まれている。Aの「個人的な関心でしかないから」が多かった点についても思うことはあるのだが、もっとも気になるのは、C、つまり「おもしろくなかったから」という答えである。
たとえば初めての異国の料理を食べて「おいしい」と思えなかった時、「まずい」と言う人もいるだろうけど、僕は「今の自分にはこのおいしさを理解できない」と思う。そこで「まずい」と言ってしまうのは、「あくまでも自分が正しい」という思い上がりなのではないだろうか(料理くらいでおおげさなと思うかもしれないけど)。あるいは映画を観て楽しめなかったときも、「おもしろくなかった」というよりは、「このおもしろさは理解できなかった」と思うことが多い。本だって同じだ。
もちろん、「ああ、このおもしろさは知ってるけど、自分の場合、すでにその段階は過ぎたから、いまさらおもしろがれないよ」という場合もある。それからもちろん、「下手くそすぎ、ひどい」と思うものもある。
でも、世の中には、自分が知らない「おもしろさ」というのがたくさんあって、それらについて謙虚であるということが、「知性」なのではないかと思うのだ。なぜなら、今の自分を超えていくのが、「学ぶ」ということの意味だからだ。脳の中に、あたらしく何かを理解できるような「つながり」ができあがると、自分にとっての世界の見え方が変化して、そして今までおもしろくなかったものがおもしろいと感じられるようになる。だから、ある本を読んで、簡単に「おもしろくない」と言ってしまう姿勢に、学校の成績なんかよりももっと重要な「知性」の欠如を感じてしまうのである。受験勉強も、根本のところではそういう「学び」につながっている。
「家族→幼稚園→小学校→中学校→高校→大学」などと、勝手に自分の世界が広がって、ほぼ自動的に成長(または変化)していけるのは、皆さんくらいの歳までだ。それ以降は、たくさんの人が、「自分の価値観が正しい」と開き直り、人の話を聞くことができない、つまらないおっさんおばさんになっていく。お互い、気をつけましょう。
学年主任からのお話。 「オタクであれ!」 |
みんな真剣に聞いています。 メモもばっちり! |
進路主任からのお話。 「試験当日まであなた方は伸びるから!」 |
「なるほどぉ(°o°)」 | いよいよ受験シーズンです。 来年1月に行われるセンター入試の出願が目前に迫っています。 今日は学年主任・進路主任から、今後の心構えや出願に際してのアドバイスと説明がありました。 みんな、志望校合格を目指して頑張れ!! |
理科の選択科目のお話。 「受験校の試験科目をよく調べて。」 |
放課後の職員室。 出願直前で、みんな張り詰めてます。 |
放課後の進路指導室(1)。 受験勉強に全力です。 |
放課後の進路指導室(2)。 先生とマンツーマンで指導を受けてます。 |
放課後の進路指導室(3)。 受験校の情報収集は合格への鍵です。 |
||
卒業対策費を、10月から1月まで、4回に分けて徴収する予定です。金額などの詳細については、後日、文書にてお知らせいたします。
生徒リレーエッセイ 「私の充実生活」
仮定の過程
4組 稲葉真帆
私の充実生活。このエッセイのテーマを聞いたとき、私の思考回路が一瞬停止した。何故なら充実しているか?と聞かれてもイエスもノーも答えることが出来ないからだ。
そもそも私は曰々の生活で充実を感じることがない。何となく起きて何となく学校へ行って何となく過ごしていることが多い。
そんな何となく過ごしている私にとって「内容が満ちている」という意味の充実は無縁の言葉だ。
ただ私は今まで過ごしてきて、一度も充実を感じたことがない訳ではない。そういえばあの時こんなことを頑張ったな。あの時は楽しかった。と過去を振り返ると充実していた。と実感することができる。
この事を仮定として考察してみる。
以前、こんなことを小耳に挟んだことがある。年齢と時間の過ぎるスピードは比例する。という言葉だ。
今の私は十七歳だ。この言葉通りなら十七歳の私は現在時速十七キロのスピ一ドで一日を過ごしている。ということになる。確かに言われてみれば小学生の頃や中学生の頃に比べて時間の流れが速くなっている気がする。きっと歳を重ねるごとにやる事や考える事等が増えて忙しくなってきて時の流れが速く感じるのだろう。
きっと私にとっての充実は忙しくて今に夢中になっていて、後々思い出し、反省をしたり自信にしたり。色々なことを学んで未来への充実へ?げているのだろう。
私にとっての充実はつまり、今の自分では無くて、未来の自分が今の自分を振り返り反省をし、更なる充実に?げることだろう。
だから私は未来の自分に充実していたな。と思わせる為に今やるべきことを全力で取り組みたいと思う。
それでも未来のことはまだ分からないからこの仮定はまだまだ考察過程だ。
教員リレーエッセイ
セットメニューじゃ中途半端でもの足りません。
酒井雅司
こないだ、とあるラーメン屋で、「ギョーザラーメン」てのがあったんです。
「これはなんと素晴らしい斬新なアイディア。餃子もラーメン食べたい僕にとってはこの上ない極上のメニューじゃないか!」。
で、思って迷わずそれを頼んだわけですわ。
どうだったかって?。
いやー、やっぱり一石二鳥って言うのは難しいね。
ラーメン食べたいならちゃんとラーメン頼むべきだし、餃子食べたいならちゃんと餃子頼むべきで。一度にどっちもなんておいしい話は、なかなかないんだよね笑。
でも「両方食べるのはお腹いっぱいになってきついじゃん」ていうこともあるかもしれない。そんなときは…どちらかを選んでどちらかを諦めるしかない。
両方食べたけりゃ、どっちも食べられるように胃袋を鍛えるしかないよね。
何かを選択するっていうのはやっぱり何かを捨てるってことで。何でもかんでも全て自分の思うまま欲しいままになるわけではない。必ず何かを捨てなきゃいけない時が来る。桐谷美鈴と有村架純から同時に告白されたら、死ぬほど悩むけどやっぱりどっちかを選ばなきゃいけない。光源氏みたいに欲望の赴くままに行動してたら、破滅する…。
進路選択も一緒だ。自分のやりたいことなりたいものがたくさんあったり、距離の問題だとか偏差値だとか学校の知名度がどうだとかあったりするけど、あれもこれもって全部自分の欲求を満たすのは無理な話。全て自分の理想通りの所なんて巡り合えることはそうそうない。自分にとって本当に一番大切なものは何なのか、どうしても譲れないものは何なのか。それをハッキリさせないといけない。
捨てる勇気と、選んだものを本当に一途に愛する覚悟。
どうしても捨てられないんだったら、お腹いっぱいで苦しくならないように自分の胃袋を広げる努力をするしかない。
まぁ、ちなみにぼくはギョウザラーメンと一緒に、単品でギョウザ頼んだんですけどね。
9・10月の行事予定 |
|
諸連絡 |
|
編集後記 |
AO入試が始まりました。来月からは推薦入試、センター試験の出願が始まります。 受験の形態は違っても、みな受験生です。全力を尽くしましょう。 仲間のことを思いやり、ベストな雰囲気で受験に望めるよう努めて下さい。
次号は、10月中旬発行予定です。 |