第1学年通信web版
と び ら
つくば秀英高等学校22期生
2017年01月13日発行
生徒エッセイ 今月のテーマ:「生きる意味」

生きる意味
Sさん−5組−

私が小学5年生の頃、すごく辛かったことがあります。最愛の母を亡くしました。 その頃の私は自分の感情をコントロールできないほどショックが大きく、生きる意味が分からなくなっていました。 その事があってから自分は崩れていき、どんどんダメな人間へと変わっていきました。

ある日、夢を見ました。それは、“いつだって1人じゃない”そう思わせてくれるような夢でした。 母が教えてくれたのです。朝起きると私は、涙があふれていて、不思議と気持ちは軽くなっていました。 すごく嬉しかったんです。自分を変えてくれる夢でした。それまで全部投げ捨ててしまっていたけれど、前向きになれました。 そのとき、母が生きたくても生きれなかった分を、私が生きてやる! 強くそう思いました。

私には幼馴染がいます。小さい頃から私をよく理解してくれる人です。 友達であっても家族のように支えてくれる存在でした。今でもその友情が続いています。 高校に入ってからいろんな困難にぶつかり、たくさんいじけて1人じゃ立ち直れないときがたくさんありました。 そんなとき、いつだって側にいてくれました。私は彼女にたくさん助けられ、元気をもらいました。 でも自分は何かしてあげれたかなって思うと何もなくて、自分ばかりが支えられてると感じてしまいました。 だから、彼女が困ってたら力になりたいし、たくさん楽しませてあげたい。 気づくと、自分にとっても、「たいせつにしたい人」がそこにいました。

これから何があろうとお母さんとその友達が側にいるって思いながら頑張っていきたいなと思いました。 私を支えてくれた人、大好きな家族、周りの皆を笑顔にしてあげたいな。


生きる意味
Kくん−1組−

私は、幼い頃から蟻の巣を観察することが大好きであった。 蟻は、「社会性昆虫」と言われており、一匹一匹が巣の繁栄のために個々の役割を果たし、その一生を終えていくのだ。 生物は本来、この蟻たちのように、群れなり集団なりの中で協力し合い、己の役割を果たしていくことで子孫を残していくことが真の姿である。

人間も以前までは、このような姿があった。 例えば、1つの村の中で人々が畑仕事や狩猟などの役割を分担し、協力し合って生活をしていたのだ。 しかし、現在の先進国、日本においては、このような姿はほとんど見られない。 今の私たちは、集団で協力して暮らそうとは考えず、個々人が独立して1人で暮らそうと考える。 だが、たぶんこれは自発的に1人で暮らそうとしているのではなく、社会の暗黙の了解がそうさせているのだと思う。 私たちは、大学へ進学したら、直ぐに親元を離れなくてはならない。 これは誰かが決めたことではないが、そのようにしなくてはならない。 このようなルールによって、集団で生活していくことを妨げられた現代の人々が、自ら自分の役割を見いだすことは難しいと思う。 なぜなら、そもそも集団の中で自分の置かれている立場を見つけにくいからである。

私は、全ての人はこの社会で生まれた以上、何らかの形でこの社会に恩を返さなければならないと思う。 それは使命であり、喜びでもある。それを個人の最終的な生きる目的、すなわち、「生きる意味」としなくてはならない。 そして、その恩の返し方は、社会の中での自分の役割を果たすことだ。

こうして考えると、「生きる意味」と「役割を果たすこと」はイコールの関係になると考えられる。 これらから、私たちはこの社会で死にものぐるいで生きる意味を見つけ出し、社会における自分の使命を果たしていくべきだと思う。


生きる意味の考え方
Iくん−7組−

僕は、そもそも生きる意味について考える必要があるのだろうか、と最初考えました。 周りを見わたしても、自分の生きる意味を掲げて生きている人は、そう多くはいません。 まして、「生きる意味」を決めたとして、それが達成されなければ生きる意味がないのであれば、 その人の人生が短いほど、その人の存在価値はなくなることになります。 なぜなら、人生は、無数に枝分かれしていて、全く同じ人生をおくっている人は、誰一人としていないからです。

だから、人によって生きる意味はさまざまで良くて、それを感じれる瞬間もさまざまなのです。 それは、「意味」というより、「生きる実感」と言った方がいいのかもしれません。 趣味を楽しむ時も、何かの大会やコンクールでがんばれた時にも、生きる実感があります。 その実感を、積み上げていくのが人生です。

だけど、僕が思うに、人間が人生の中で、生きる意味が分かる時が2回あると思います。 1つは、人生の中での重大な危機や幸せなどの出来事に遭遇したとき、 2つめは、人という人生が終わる、死という瞬間だと思います。 この2つは、似ていないようで似ていて、違うようで同じだと思います。 言うならば、1回目に気づく時が、生きる意味を実行する時で、 2回目に気づく時が、その実行がどれだけ果たせたか分かる時だと思います。

けれども、この「生きる意味」というのは、結局、あえて掲げるような重いものではないと思います。 たしかに、「生きる意味」は、人生を生きていく上で大切だと思いますが、 それにとらわれすぎて「生きる意味」のための人生となってしまって周りが見えなくなってしまう恐れもあります。 むしろ、生きていく中で、ふっと見いだせるものなのではないでしょうか。


教員エッセイ
「生きる意味」
 
生きる意味
呉 浩伸 −8組担任−

数年前、父は片足の膝から下をなくしました。

状況が良くないと茨城から奈良の病室に行き、 そこで見た父は以前よりも少し弱くみえました。

それから手術室に行くまでの間、交わした会話はほぼ柔道に関係する話でした。

部員の様子や大会成績、柔道の考え方などです。こんな時にそんな話いいのに…

手術室に入った後、妹が柔道の話しかしてないなと苦笑いしていたことを思い出します。

今は、父のその時の気持ちがほんの少し分かる気がします。

自分も、大人といわれる世代、そして父親になり、親としての思いや昔と違う価値観も生まれてきました。

当たり前にあることの大切さや自分の周囲にどういう事ができるかなと考えたりすることが今回のタイトルかなと少し思います。 こんな思いが全てではないけれどそのような気持ちです。


これからの学力は、「復習」によって決まる
 

みなさん、高校の勉強の大変さを実感している頃かと思います。 これからの成績を左右するのは、「復習」です。

復習には、2種類あります。

1つは、授業で学んですぐの復習。たとえばその日、自宅に帰ってからすぐの復習。 これをするかどうかで、記憶の定着は、大きく変わります。

もう1つは、時間が経ってからの復習です。 高校に入ってから、場合によっては、中学校の勉強を総復習するというような勉強です。 これは、自分にとって何が必要かを考え、自主的にやらなければならないので、簡単ではありません。 でも、これができなければ、本当の勉強とは言えないのです。

ぜひ、2年生になるまえに、自分に足りないのは何か、考えて「復習作戦」を計画してください。



《保護者の方へ》
■文理選択について

文理選択の最終アンケートを配付しました。保護者確認、押印のうえ、1月27日(金)までの提出となっております。

■「写真・動画撮影および使用に関する同意書」について

「写真・動画撮影および使用に関する同意書」の提出が1月12日(木)となっております。



1月(後半)の予定

13日(金) 短縮日課(1〜6H)+大掃除
14日(土) 休日
15日(日) 一般入試準備日
16日(月) 本校一般入試(生徒自宅学習)
17日(月) 採点日(生徒自宅学習)
18日(火) 採点日(生徒自宅学習)
19日(水) 模擬試験
21日(土) 英語検定
25日(水) 短縮日課(1〜6H)+LHR
28日(土) S:学習日

2月(前半)の予定

1日(水) S:模擬試験
4日(土) 読書プレゼン発表会
11日(土) 建国記念の日
15日(水) 合格体験報告会

編集後記

今回のエッセイに、「生きる意味についてなんて初めて考えた」と書いていた人がたくさんいました。 一方で、このことについていつも考えている、という人もいました。

本当のところを言えば、何のために生きているのか、ということをまったく疑問に思わなかったら、それでは昆虫と同じじゃないか、と思ってしまいます。

「これが自分の生きる意味だ!」と決めなくてもいいけど、できれば、「生きている」ということの不思議さを感じてほしいです。

あまりにもすべてが当たり前だと、世の中の一般的な欲望、たとえば「金もうけ!」とか、しか生きる意味を持たないつまらない人間になってしまいはしないかと心配します。別に「金もうけ」が生きる意味だってかまいませんが。

とにかく、「自分の価値観を自分で選び取る!」というのが、ちゃんとした大人になるためのたいせつな条件ですよ!

トビラを蹴破れ!


(福田)